2011年3月29日火曜日

「帰宅困難」を経験して

このたびの東北地方太平洋沖地震で被災された皆さまに心からお見舞い申し上げます。
おかげ様で私の知人、友人とは震災後1週間ですべて連絡が取れ無事が確認できました。私自身は今回の地震では幸いにも被災することはありませんでしたが、いささか感じるところがありましたので今後のために書きとどめたいと思います。

それは報道でも取り上げられた「帰宅困難」の問題についてです。
私は日頃バス、鉄道を乗り継ぎ片道1時間強の道のりを通勤していますが、地震直後から全面運転見合わせとなった鉄道のインフラ障害により、勤務先から延べ4時間半かけて約22kmを徒歩で帰宅しました。

職場の同僚の中には交通インフラの回復を待っていて、結果的に泊まり込みとなった方もいましたが、私は共働きの奥さんや保育園に通う娘のことが心配でしたので、地震発生から3時間半経過した午後6時に勤務先を退社しました。

JR線が全線で運転を見合わせたため、最寄り駅周辺のバス・タクシー乗り場では乗車待ち列が車道にまであふれた状態。周辺私鉄の西武鉄道も全線運転見合わせの情報を入手していましたが、一縷の望みを託して地震後すぐに運転を再開した多摩都市モノレールを利用し、西武拝島線の玉川上水駅に向かいました。

午後6時20分に玉川上水駅で下車したものの、接続する西武拝島線はやはり運転見合わせのため、徒歩で帰宅することを決断。線路沿いに東大和市駅まで進み、新青梅街道を目指して北上。途中コンビニに立ち寄って、トイレ、ホットのお茶を確保し、東大和市清水5丁目付近から新青梅街道を東進しました。

スタート地点から約8km離れた西武新宿線久米川駅に辿り着いたのは午後7時40分。西武新宿線は引き続き運転を見合わせており、北口から西武池袋線清瀬・秋津方面に接続するバスも、乗車待ちの長蛇の列です。

携帯電話・メールは規制されておりほとんど繋がらない状態でしたが、勤務先から退社途上の奥さんとのメールのやり取りや地図検索に必要なバッテリーを確保しておくため、硬貨が使える公衆電話を探しあてて、娘の保育園にお迎え到着見通し時間の連絡を入れて対応をお願いする一方、明日の仕事関連の予定キャンセルの連絡を入れました。

その後、新青梅街道を東進。普段は人通りのほとんどない小平霊園沿いの道は驚くほど往来が頻繁でした。車道は上下線ともに車が溢れ、ところどころで歩行者の歩く速度の方が速い状態。渋滞のせいで全く動かない路線バスやタクシーを追い越してどんどん歩いて行くと、道沿いのコンビニの駐車場でタクシーの運転手さんとお客さんと思われる人たちがお茶を飲みながら休憩している姿もありました。

西東京市から富士街道を使い、コンビニでの水分補給・トイレ利用をはさんで、娘の通う保育園に到着したのは午後10時過ぎ。その時点でお迎えがまだの園児は10名前後、いずれも勤務先から保護者が到着できない状況で、備蓄食糧でおにぎりを作って食べさせていただき、就寝させていただいていたとのこと。先生方にお礼を申し上げ、寝ぼけ眼の娘を抱っこしてさらに自宅まで約30分、通算4時間半・22kmの徒歩の道のりでした。

この間、都心から同じく徒歩で帰宅を目指し、同僚と一緒に会社を出た奥さんとは連絡がなかなか取れずにやきもき。携帯電話での通話・メールが規制されている上、地理に不案内なため、「いまどこ?」「××通りを歩いている」といったメールがかなりのタイムラグで届くような具合で、自宅に帰りつくまでお互いの状況はほとんど分からず仕舞い。結果的に、奥さんはタクシーをうまくつかまえ、渋滞の少ない裏道を使って、私よりも早く自宅に帰り着いていました。

今回の経験で私が感じた課題は次のような点です。
1)交通機関、電気・通信などのインフラ・ネットワークは、被災していない場所でも確実に影響を受ける。
2)災害が発生した際、次に何をすべきかイメージできることが重要。初動対応の遅れや、リスクに気づかない、安全を過信する、といった状態が継続するととても危険。
3)通信規制やバッテリー切れなど、通信手段として携帯電話は万能ではない。また、移動中にラジオが聴けるなどの
状況にない場合、正しい情報が受け取れない「情報難民」になる可能性がある。
4)日頃より徒歩で帰宅することを想定し、経路や、飲料・トイレ・公衆電話などが確保できるインフラ(コンビニや公園)をマッピングしておく。
5)長い距離はビジネスシューズでは相当に歩きづらく疲労を感じる。ウォーキングやジョギングに慣れている人も、体力を過信せず適度に休息を取る。
6)カバンなど余分な荷物は持たない。

なお、被災地で徒歩帰宅するとなれば、停電や断水、建物からの落下物、道路の隆起・陥没などに備え、懐中電灯、ヘルメット、非常食、トレッキングで使用するような底の厚い靴など、必要な装備はもっと多岐に亘ります。1995年の阪神淡路大震災当時、兵庫県内に在住した際の経験からこれらの備えの必要性は理解していますが、いざという時に取り出してすぐ使えるようにしておくことはなかなか難しいものです。

災害発生時の「帰宅困難」の問題について今回得た経験を踏まえ、私や家族の個人的な備えで解決できる課題はもちろん、仕事や社会活動などを通じて、前述のような課題が少しでも解決できるよう考えていきたいと思います。

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